史上最大の株価暴落と呼ばれている
ブラックマンデーは、
日本市場ではNY暴落の翌日、
1987年10月20(火)
に発生しました。
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動画版公開
動画がお好みの方はこちらをごらんください。
発掘チャート<1987.10.19>
ブラックマンデーでは、
わずか1日で
NY市場:-22.6%(-508ドル)
日経平均:-14.9%(-3,836円)
の大暴落となりました。
まだ学生でしたので、ニュースで見た程度です。
そこで、当時の株価を調べて株価チャートを作り、
何が起こったのかを紐解いていきました。
では、ブラックマンデーの時、
株価はどう動いたのか?
各業種を代表する銘柄の株価チャートから、
当時を振り返ってみましょう。
※株価チャートは分割後の株価に補正されています
ピックアップした15銘柄のうち、
新日鉄とNTTを除いた13銘柄が、
ストップ安売り気配の一本値。
当時まだIPOから日が浅く、
一番人気でもあったNTTを除いた
14銘柄がストップ安になっています。
ストップ安と下落率
ブラックマンデーでは、業種に関係なく、
ほとんどの銘柄がストップ安となりました。
(多くがストップ安売り気配の一本値)
また、チャートから分かるように、
暴落の一方で出来高は少なく、
買い向かった人がいないのが分かります。
暴落は買いチャンスでもあり、
通常は出来高も増えるものですが、
なぜでしょうか?
実は、NY市場と日経平均の
下落率の差にヒントがあります。
日経平均(-14.9%)の下落率は、
NY市場(-22.6%)と7.7%も差があり、
前の15銘柄でも下落率を平均すると
-15%前後になります。
実は、ブラックマンデー当時から、
日本市場にはストップ安ルールがあるため、
1日の下落幅に制限がありますが、
NY市場には制限はありませんでした。
この日経平均とNY市場の下落率の差が、
日本株のさらなる下値余地、先安感を生み、
ストップ安でも買いが入らなかったのです。
ブラックマンデーでの各銘柄の下落率は、
ストップ安の当日値幅が何パーセントだったか
で、たまたま決まっただけです。
なお、ブラックマンデーを契機として、
NY市場にもサーキットブレーカーが導入
されましたので、このような大暴落は、
1日ではもう起こらないと言われています。
暴落の原因
これだけの大暴落となったブラックマンデーですが、
リーマン・ショックや9.11NYテロと異なり、
実は、原因がはっきりしません。
プラザ合意後の急激な為替変動や、
その後のルーブル合意の不調により、
ドル安に歯止めがかからなくなり、
逆指値のような自動売買プログラムから、
売りが売りを呼んだと言われています。
翌日になってNY市場が反発すると、
日本市場でも多くの銘柄が、
翌日ストップ高となり、回復しました。
もっとも、暴落→暴騰で終わりではなく、
1ヶ月以内にほとんどの銘柄が、
さらに何回か安値を更新しています。
新日鉄と東京電力の2銘柄のみですから、
大暴落があれば、冷静に2番底を狙う方が
賢い選択かもしれませんね。
予測不能暴落の恐怖
後から振り返ると分かりにくいのですが、
ブラックマンデーの本当の恐怖は、
予測不能型だったということです。
例えばリーマン・ショックは台風のようなもので、
予測して対策を取ることができるタイプでした。
似たような予測不能型の暴落には、
・東日本大震災
などがあり、10年単位でみると、
発生頻度も決して低くないのです。
予測不能暴落のリスクについては、
投資家として知っておくべきでしょう。
ブラックマンデー後
株価はしばらく不安定な値動きでしたが、
それでもリーマン・ショックと比べると、
影響は軽微だったといえるでしょう。
ブラックマンデーの半年後には、
日経平均も全値回復となり、そこから
1989年12月のバブル相場頂点に向けて
日本史上最大の株価バブルが始まることになるのです。
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あとがき
私たちは株価チャートを
結果から見て評価する傾向にありますが、
実際の相場は現在進行形ですから、
当時の業績や市場期待、需給を投影した
株価チャートは貴重な実録データです。
・バブル相場(1989年)
・ITバブル(2000年)
・NYテロ(2001年)
・リーマン・ショック(2008年)
・東日本大震災(2011年)
・チャイナ・ショック(2015年)
・コロナ・ショック(2020年)
「賢者は歴史から学ぶ」といいます。
今も昔も株式投資の基本コンセプトは
「将来、値上がりしそうな株を買う」
ということで同じですから、
過去を知るということは、
未来を知ることに通じると思います。