初代PlayStation発売から25年が経過し、
PS5の話題も出始めました。
今日は1994年12月の発売から大人気となり、
任天堂を抑えてゲーム機でトップになった
ソニーの初代プレイステーション相場を紹介します。
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INDEX
ソニーと任天堂のライバル関係
任天堂向けプレイステーション
家庭用ゲームといえば、
日本では任天堂とソニーの
2強になりますが、
初代プレイステーション誕生の裏には、
任天堂とソニーにまつわる
浅からぬ因縁があります。
当初、プレイステーションは、
任天堂向け外部記憶装置として
発表されていました。
当時のソニーは、自社でイニシアティブをとった
CD規格、CD-ROMの普及を図るため、
ファミコン用ディスクシステムの代替として
CD-ROM機プレイステーションを
任天堂に提案していたんですね。
この任天堂向けプレーステーションは、
1990年1月に正式発表され、
ファミコン通信などのゲーム誌でも
紹介されていました。
この頃からプレイステーションの企画を
推進していた人物が後にプレーステーションの
生みの親と呼ばれる久夛良木氏です。
任天堂の裏切りとソニーのゲーム機参入
ところが、任天堂向けプレイステーションは、
1991年6月に任天堂がフィリップスと組んで
新型CD-ROMゲーム機を発表するという形で、
あっけなく幕引きとなりました。
(このゲーム機は結局、発売されませんでした。)
「ソニーから新型ゲーム機を投入して
任天堂をぶっつぶしてやる」
と意気込んで初代プレイステーションを
開発したと言われています。
任天堂の裏切りから3年半後に、
かつての任天堂向けCD-ROM機と
あえて同じ名称を使用した
初代プレイステーションとして
発売にこぎ着けました。
初代プレイステーションは、
3Dグラフィック性能で優位だったほか、
CD-ROMによる大容量化に加え、
製造コストの大幅削減や物流の合理化を実現し、
任天堂を逆転していきました。
CD-ROMが優れていた点
CD-ROMの優れていた点として、
記録容量や製造原価のほかに
原盤を作ってしまえば、
大量生産が容易だった点があります。
任天堂が使用していたROMカセットは、
製造コストが高く、生産にも時間を要したため、
大ヒット作品が欠品して入手困難になったり、
逆に売上を見込んで大量生産した作品が余ってしまって
抱き合わせ販売されたりなど、
物流面で大きな欠点がありました。
CD-ROMを採用したプレイステーションでは、
ソニーが音楽CDで培ったノウハウを活かし、
受注を受けてからでも高速生産できる
CD-ROMの強みを活かし、
物流改革に成功していったわけですね。
発掘チャート<6758>ソニー初代プレステ相場
1990/01/01 任天堂向けプレイステーション発表
1991/06/01 任天堂が新型CDゲーム機発表
1994/11/22 セガ・サターン発売
1994/12/03 初代プレイステーション発売
1996/03/22 バイオハザード発売
1996/06/23 任天堂64発売
1997/01/31 ファイナルファンタジーⅦ発売
2000/03/04 プレイステーション2発売
2000/08/26 ドラゴンクエストⅦ発売
初代プレイステーションは、
発売直後はセガ・サターンや
任天堂64と競合しており、
株価がすぐ上昇したわけではありません。
プレステ初期は、3Dゲームに強かった
ナムコのリッジレーサー、鉄拳などが牽引、
1996年には、カプコンのバイオハザード
が人気を集めるなど、次第に優勢となり、
株価も右肩上がりが続くようになります。
1997年には、かつてファミコン向けだった
スクウェアのファイナルファンタジーⅦが発売。
この大ヒットにより、ライバル他社を突き放し、
株価も5000円を突破して上昇しました。
2000年にはプレイステーション2が発売。
さらに、エニックスのドラゴンクエストⅦも
ファミコンからプレステに鞍替えとなり、
絶対的な地位を築き上げました。
プレイステーション2発売時には、
ソニーの株価は初代プレイステーション発売前の
安値から10倍以上まで上昇しました。
ポケモンシリーズなどのヒット作にも恵まれ、生き残りました。
ライバル任天堂の株価チャートもソニーとよく似ています。
ソニーのプレイステーション発売後30年チャート
ゲームで成功を収めたソニーは、
金融、映画、PC、カメラなどへ多角化。
総合エンターテイメント企業へと事業拡大しますが、
ITバブルのピークでもあった
プレイステーション2発売を頂点に
長い低迷に入っていきます。
実際、当時ソニーの業績ピークは、
プレイステーション2発売前の1998年で、
それ以降は先行投資などで減益となり、
株価はバブルで上げているものの、
期待先行の相場だったことが分かります。
1994年3月期 102,162
1995年3月期-220,948 ※初代プレイステーション発売
1996年3月期 138,159
1997年3月期 312,429
1998年3月期 453,749
1999年3月期 377,691
2000年3月期 264,310 ※プレイステーション2発売
2001年3月期 265,868
2002年3月期 92,775
2003年3月期 247,621 ※ソニーショック
2004年3月期 144,067
さらに収益的には低迷を続け、
2003年4月には四半期利益が
赤字に転落したことがソニーショックとなり、
株価も大きく下落しました。
業績は一時的に赤字になっており、
株式市場は投資コストの収穫期を
待っていましたが、機会はありませんでした。
その後は、本家本丸のオーディオ・ビジュアル分野で
宿敵アップルに手痛い敗北。
リーマン・ショックや
東日本大震災を経た後の
2012年11月の安値では、
初代プレステ発売前の安値を
大きく割り込みました。
ITバブル頂点から下落率-95.4%を記録
アベノミクス以降は、徐々に復活してきて、
業績的にも最高益を更新していますが、
株価はまだ20年前のITバブル高値の
半値程度の水準にあります。
このまま右肩上がりの上昇が続けば、
いずれは、抜いてくることになるでしょうが、
それが何時になるかは分かりません。
現在は消費者向けブランドというより、
イメージングデバイスで利益を稼ぐ
デバイス企業といった感すらありますが、
2020年5月にはソニーファイナンスの
完全子会社化を発表しています。
金融分野でソニーらしい新しいビジネスの
登場を期待したいですね。
ソニー・ショックでは日経平均も、リーマン・ショックに次ぐ安値を付けました。
ITバブルの象徴
ソニーの初代プレイステーションから
プレイステーション2発売前までの
期待先行と急落はITバブルの象徴
と言うことができるでしょう。
はっしゃん自身もITバブル当時に
バブルど真ん中のIT企業に勤務していて、
株価10倍、20倍を体験しましたが、
行き過ぎた市場期待には冷めてましたね。
関連リンク
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あとがき
私たちは株価チャートを
結果から見て評価する傾向にありますが、
実際の相場は現在進行形ですから、
当時の業績や市場期待、需給を投影した
株価チャートは貴重な実録データです。
・バブル相場(1989年)
・ITバブル(2000年)
・NYテロ(2001年)
・リーマン・ショック(2008年)
・東日本大震災(2011年)
・チャイナ・ショック(2015年)
・コロナ・ショック(2020年)
「賢者は歴史から学ぶ」といいます。
今も昔も株式投資の基本コンセプトは
「将来、値上がりしそうな株を買う」
ということで同じですから、
過去を知るということは、
未来を知ることに通じると思います。